第二章 模試1位→朝テスト赤点、退学して一人出て行った訳

前の話→ 第一章 自分のお店が欲しい。ただただ好きなことがしたい。

模試1位→朝テスト赤点、退学して一人出て行った訳

卒業する1年前

「高校へ行かずに専門学校か、現場に出たい」

「何なら起業したい」

そういう私の意見は全て通りませんでした。

親の頭の中は

「公立高校→国公立大学→就職は当然」

「起業とか大学を出てから考えて。とにかく大学は出て」

卒業したら好きなことをしていいと譲歩しているんだと

これ以上は譲ってくれませんでした。

14年しか生きていない私には、まだ7年も自由が無いように思えます。

ちなみにその頃なりたかったのは町のパン屋さん。

キャリアを積む意味がまったくわかりません。

もちろん、いくつか小さな提案はしました。

・時間が欲しいから自転車で15分の一番近い高校へ行く

  →却下

・高校行きながら起業がしたい。せめてバイトさせて欲しい

  →却下

・やりたいことがあるから私立のこの学校に行きたい(県内1位の偏差値75の学校)

  →3ヶ月後の受験で3位以内の特待生ならいいよ。

流石に無茶・・・!!!!!!

中学生の私には、親の言うことに強く反発しようという考えは浮かばず、

諦め、兄が行っていた高校へ進みました。

その後少し精神をやってしまい、家で寝ても寝ても寝た気にならなかった私は、

嫌いな家ではなく、学校で寝ると疲れが取れることに気づきました。

模試で1位をとったこともあった私は、朝テストで赤点を取る生徒になりました。

ただ学校生活の中で、部活だけは楽しかったです。

気さくな先輩たちはトランプなどをして部室をたまり場にしているだけだったので、

正式な活動はほとんど1年生のみで行いました。

自由にできる喜びから私は積極的に動き、活動の中心になりました。

とても充実した数ヶ月だったと思います。

そんな生活も

「あんな先輩の部活なら行くな」

親の一言であっさりと終わります。

私は大爆発

 退学を決意しました。

大爆発といっても、最初は相談といったまだ穏やかな形でした。

しかし、意見が全く通らず妥協もしてもらえません。

「大学は出ないといけない。平行線だ」

「父さんは高士がお腹にいる時から決めていたんだ、

 1年やそこらでころっと変えるな」

   ↑これ、理不尽すぎてずっと覚えてます。

流石にやってられなくなった私は、殴られたり首を掴まれたりもしましたが、

冬休み前、不登校を強行し、晴れて退学しました

バイトを始めた私は、親に毎月バイト代の4分の1ほどを納めながらも

なんとか130万円もの資金を貯め、国からもお金を借りて、

専門学校に通うのを理由に家から逃げ出しました。

私はただ、家を出たい、好きなことをしたい。

それだけでした。

親は退学してから、もう私に反対も賛成もしなくなっていました。

そんなこんなで一人暮らしが始まり、

私の趣味や好きなことに包まれた、気ままな学生生活がはじまりました。

はじまると思っていました・・・

第三章 

 13時間のバイトと学校生活を続けていくのは色んな意味でダメだった件